なぜラジオDJになったのか?その2

ここでパート2を書く前に
番組でお話してしまいましたが笑
続きです。

なぜラジオDJになったのか?その1はコチラ

英会話講師の仕事を優先していいと
店長がおっしゃってくださり、
わたしの担当曜日以外には
JARTIC現役の方と
FM静岡で経験のあるプロの方が入ってきました。

「ラジオで喋った経験がないのはわたしだけ
いつクビになるのだろう?」
あまりに不安になりすぎて
店長に勇気をもって聞くと

店長は
「君はここのエースだから
クビになんてしないから
しっかり頑張って」
とおっしゃってくださったのです。

どう考えても超下手なわたしをエースなんて・・・
店長は現時点ではなく
将来きっとうまくなることを
信じてくれている

ならば絶対にうまくなろう
店長のために!
と心に誓いました。

★↓シャシンはHMVのDJ当時勉強していたあれこれ
ひとりで実家の母を訪ねてくれた娘が
漫画を探していたら本棚から出てきたらしく
「ママ頑張ってたんだね」と言ってくれたので
その次に実家に行った時にシャシンを撮ってきました
自分のことをそんな風に思ったことがなく
これらを見返したこともなかったので
娘のやさしい目線がすごくありがたかったです★


そして、自分の実力がどれくらいなのかを見極めて
(何次審査で落ちるかを知って)
もっと高みを目指そう

そう思って受けたオーディションが
ZIP-FMのミュージックナビゲーターコンテストでした。

ラジオのDJになろうなんて
そんな気持ちはサラサラなく
(なれるわけもないと思っていたので)
ただただ店長のためにうまくなる
その気持ちで受けたオーディションで
ありえないことにグランプリを獲得してしまったのです。
(オーディション直後
信じられなくてキョトンとしています笑↓)

オーディション後大尊敬&憧れの小林克也さんから
ピザとビールの差し入れがあり、
これはもしかしたら夢じゃないかも
もしラジオに出ることになったらどうしよう!?!
と急に正気に戻った途端に焦り始めました笑

・・・というのがわたしがラジオDJになったいきさつです。

ラジオでもお話しましたが
店長は沖縄の方です。
店長のおかげで
わたしはラジオDJになることができました。
その店長の故郷で
16年もラジオDJをつとめることができたことは
偶然とはどうしても思えないんですよね。
当時と現在はずーっとつながっていたんですね。

花城店長
本当に本当にありがとうございました。

★できればお会いしてお礼が言いたいので
90年代にHMV名古屋生活倉庫店→HMV数寄屋橋店で
オープニング店長をされていた花城さん
(眼鏡をかけています。
身長は170cm前半 当時の記憶なので多分笑
目は大きくクリっとしていて、
1995年のベストソングに
スピッツのロビンソンを選ばれていました笑)
をご存じでしたら
(親戚などにもしいらっしゃったら)
ぜひわたしまでご連絡
よろしくお願いします

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