大家さん

昨日は慰霊の日。

わたしは恥ずかしながら
沖縄に来るまで
沖縄の地上戦のことを
詳しく知りませんでした。

初めて沖縄で迎えた慰霊の日。
同じ敷地内に住む大家さんが
お家に招いてくださいました。

その時、
大家さんはまだ中学生だったこと
お父さんとお兄さんを戦争で亡くされたこと
やんばるまで逃げたこと
命からがら読谷に食糧を探しに行ったこと
手りゅう弾を海に投げ
浮いた魚を獲って食糧にしたことを
話してくださいました。

「あの時もう後は無いと思ったのですよ。
だからその先のことはすべて有難く思っています。」

大家さんのこの言葉で
どれほど大変な道程を経てきたかを知りました。

この日から大家さんの棚にある戦争に関する本を
たくさんお借りしました。

これは一番初めに借りた本です。
この本はまだドル表示でした。
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この本を大家さんは
どんな思いで読んだのだろうと思うと
胸がつぶれそうになりました。

読んで返す時、
「ここに書いてあることは
ある程度読めるように書いてあるので
事実よりも悲惨ではありません。
事実はこんなものではありません。」
とおっしゃいました。

その後、ありのままの事実を
大家さんの人生と共に
たくさん語ってくださいました。
わたし自身、
家族以外の人生を
こんなにも深く知るのは初めてのことでした。

娘は当時まだ3歳だったけど
幼い頃から
大家さんのお話を聞けたお蔭で
今も戦争をとても身近に感じているようです。

大家さんはその後もわたしたちを
本当の家族のようにかわいがってくださり
娘を孫のように面倒みてくださっています。

歴史を知れば知るほど
本来なら憎まれても当然な我々を
こんなにも大切にしてくださるのは何故?

大家さんに思い切って
そう聞いてみたことがあったのですが、
大家さんは戦後仕事で日本各地に住み、
いろんな人に親切にしてもらったからだと語り、
自分の中に偏見や憎しみは無いとおっしゃいました。

「我々に違いは何もありませんよ。
味噌汁の大きさだけです。」

この言葉を聞いて
涙が止まらなかったのを覚えています。

わたしに出来ることはたったひとつ
県外の親類、友人、知り合いに
大家さんから聞いたお話を
伝え続けていくことだと思っています。
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